中一の秋、初潮が始まった。
それは、ある日突然に何の前触れもなく始まった。
もしかすると何かの変化があったのかも知れないけれど、何も気づかずその日がきてしまった。
小学6年卒業前に保険の先生から忠告されたことがあった。
「体重が30Kg(だったか40Kgだったか、、、どちらかの大台)にならないと、中学生になれないよ」と。
それくらいチビで、ガリだったのに。
テニスの部活動のさなかでした。
練習着は、白の短パン。
先輩にいきなり呼ばれ「出血しているからすぐに帰りなさい」と。
見ると既に短パンにまで、しみだしていた。
恥ずかしさと、突然の出来事に慌てながら急いで帰宅。
″生理用品”というものは、小学校の時に「備え」として購入してあった
ショーツが1枚とナプキンが少しだけ。
それでも直ぐに履き替え、急いで下着と短パンの洗濯へ。
この汚れが、中々落ちない。中学1年にお洗濯の知恵など何もなく。
少しシミの残ったままになってしまった。(母は、中学に入学してから私の物を洗濯してくれることは、一切なくなっていたので。)
母が帰宅。すぐに報告した。
母は、無言だった。
父の帰宅後にかけられた言葉
父が帰宅し、声をかけられた。
「初潮がきたって?それはそれはめでたい!赤飯でも炊かないと!」と。
(昔は初潮が始まると、おめでたい事としてお赤飯を炊いてお祝いする風習が有ったのです。)
異性(父)から女性のデリケートな話をおもむろにされて、私は父の顔を見るのも嫌になるくらい「大嫌い!」になった。
デリカシーの欠片も無い!と。
というか、私は父にそういうことを知られたくなかった。
本当に、心の底から父に告げ口した母を恨んだ。(大人になればわかる事なのですが、、。)
そして、本当に父が「大っ嫌い!!」
それでもやっぱり何もしてくれない。
全てにおいて、初めての経験。
どのくらいでナプキンを交換したら良いのか?とかお風呂で浴槽に入って良いのか?とか
不安がいっぱい。
父の居る前で母に聞くのは絶対いやだったので、結局何も聞けないまま日々が過ぎる。
毎日のようにシーツを汚してしまったり、1枚しかないショーツもその日に汚してしまったので
普段の下着をはくしかない。
普通の下着は、すぐに汚れてしまう。
お風呂に入り、毎日下着の洗濯に追われる。。。
ナプキンは、母の物を拝借した。
わたし用に買ってきてくれることは無かったから。
そして母のが無くなると、トイレの「ちり紙」を使用した。
(トイレットペーパー等無かった時代です)
なので、下着は汚れまくりの日々。
生理用のショーツも、買ってくれることは無く生理が来るのは、苦痛で仕方なかった。
友達もまだ始まった子が少なく、遠慮だらけの私が聞けるはずもなかった。
そして何でも遠慮しなければならなかったので、学校のトイレもよほどの事が
無い限り使用しなかったので、余計に汚してしまうのでした。
ナプキンの袋も開けるときに音がして、ほかの子に知られてしまうのでは?という
思いも、、、。
母は、本当に何もしてくれなくなった。
(この時は育児放棄だとは気づいてなかった)
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