弟が生まれ、、、
私が5歳になる直前に、弟が生まれた。
母が退院してきた日から、私は祖母と寝ることになった。
両親と弟は、2階の部屋で。
私は祖母と、1階の部屋で。。。
母は、弟を見せてはくれなかった。
産後すぐなので、私の存在が鬱陶しかったのかもしれない。
まだ5歳。とても寂しかった。
私は母と一緒に寝た記憶も、お風呂に入った記憶も無い。
家族で温泉旅行に行った時くらいしか思い浮かばない。
記憶に残っているのは、冬の寒い日に布団の中で父の温かい脚に私の冷たくなった足をふっつけて
気持ち良かったこと位。
お風呂はいつも父と一緒。
お風呂から上がっても、家族の居る2階の部屋には行けなかった。
私が祖母の部屋に入ると、父は2階に上がった。
そんな日の繰り返し。
ある日私は、母がお手洗いにたった隙に弟を見たくて、そっと2階に上がり寝ている弟に近づいた。
「かわいい~~~!!」
本当に可愛かった。
思わずほっぺにchu💛
背後から罵声が聞こえた。「何してる!!? 出ていきなさい!!」
母だった。
それ以降、私は3人の居る部屋には入ることも無く呼ばれることも無かった。
無関心なの?
両親は、共稼ぎだった。
食事の準備は、殆どが祖母。そして父が時々お手伝い。
あの時代にしてみると、貧乏な生活で困るようなことは無かったと思う。
年に一度は、家族旅行に出かけ、私のピアノの発表会には、発表会用のワンピースをオーダーメイドで
作ってくれた。
それでも心は満たされていなかったと思う。
遠慮しながらの生活、甘え方もわからずじまい。
一つ屋根の下に5人もいるのに、「ボッチ」な感じ。
だから?勉強をしないというひねくれた考えに至ったのでしょうかね~(笑)
大人を困らせる(自分が困っただけですが、、、)ことの答えが「勉強をしない」。
小学一年じゃ、ぐれ方もわかりませんって(笑)
やはり私は邪魔な存在?
父に禁止された、 従姉 宅への長期滞在が許された。
小学3年生頃だったと。母がしびれを切らしたのだと思います。
そして、従姉達から「勉強を教えてもらう」と言う体裁で。
学校の成績は、どんどん下がる一方だった。(本当に勉強しなかったんです・・・)
自分の興味のあるものだけは、少し。
例えば、漢字や音楽 ( ̄m ̄〃)ぷぷっ!勉強のうちに入らないものばかりです。
従姉宅に行くと、一気に呪縛が解けた感じ。
やはり遠慮もしてしまうし、甘えることも余りできない。
だけど、「みんなと一緒にいる!」という安心感がそこにはあった。
叔父の言う、くだらないダジャレが楽しくて、心の底から笑えた。
従姉たちは、いつもの事で誰も相手にしないから、私がターゲット。
叔父も久しぶりにダジャレが受けて、大満足。
「家族」を感じれる時間だった。大好きだった。
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